(平成9年5月5日
日経ビジネス)
敗軍の将、兵を語る
衛藤瀋吉氏[亜細亜大学前学長・東京大学名誉教授]
大学改革、舞台に立てず内紛のとばっちりに憤り
「一芸入試」など亜細亜大学で大学改革を進めたが、2度目は挫折。再び改革に挑戦した北陸大学から、学長就任を突然、白紙撤回された。理事会と教員のエゴのぶつかり合いの、とばっちりを受けた。
4月から北陸大学の学長に就任するはずでしたが、2月に突然、大学の理事会から「話を白紙に戻してくれ」と言われました。そのうえ、こうした結論に至るまでの経過の説明もなく、憤りを感じています。
北陸大学は石川県金沢市にある地方私立大学ですから、東京に住んでいる私には、大学の内情がわからなかった。実は理事会と教員との間に内紛がおこっているなど、いろいろな問題を抱えている大学だったのです。とんだとばっちりを受けたと思っています。
最近になって金沢に住んでいる親しい教育関係者から、「衛藤さん、なぜ事前に相談してくれなかったの」と言われました。まったく不徳、不明のいたすところです。大学をよく調べていれば、こんな失敗はしなかったでしょう。実は昨年、私が北陸大学の学長になるという報道が流れた時、ある親しい代議士から忠告されたのです。石川県出身の方なので、北元喜朗理事長のことをご存知でした。この代議士の方は今回の騒動では自ら調停役を買って出てくれましたが、北元理事長は話を受け入れようとしなかったそうです。
熱心に就任要請した理事長
教員の反発で態度豹変
そもそも、私は北陸大学に行く必要はなかったのです。本心を言えば、あまり行きたくなかった。東京や関西でも、同じような職に就いてほしいという要請がありましたから。
ただ、北陸大学は北元理事長が、当初は大変熱心だった。「北陸大学を全国的に知名度のある大学にしたい。そのためには、いくつかの改革が必要だ。衛藤さんのような教育に対するビジョンを持っている方に学長に就いてほしい。大学改革のお考えは、著書を読んでいるからわかっているし、賛同している。理事会は全力を挙げて衛藤さんの改革を支援するから、北陸大学を良くしてほしい」。こう北元理事長が言うわけです。それはもう、たいへん雄弁でした。
昨年春から何度も、東京・杉並区の私の自宅まで来られて、このような説得を繰り返すのです。北陸大学行きをちゅうちょしていた私も心を動かされました。人生意気に感じてしまった。そして昨年8月には、おおむね承諾することになりました。
それからまもない昨年9月、私が中国社会科学院の客員教授として北京に滞在していたときのことです。マスコミの人から電話がありました。「北陸大学の理事会が教授会を通さずに次期学長を決めたため、一部の教員が反発している」というのです。
帰国後、理事会に対して、「学長選挙をやり直して、きちんと教授会の審議を通してください」と何度も頼みました。私が学長になっても、教員の理解と支持がなければ、改革はできないからです。だが、北元理事長はどうしても聞き入れてくれない。「私が学長を辞退して北陸大学の内紛が収まるなら、いつでもそうします」とも言いました。学生のことを考えると、大学が正常に戻ることが重要だと思ったからです。しかし、理事会の方々は「絶対に辞退しないでくれ。そうなれば先生(教員)の思うつぼだ」と言っていました。
昨年12月には、北陸大学薬学部の土屋隆教授から手紙をいただきました。土屋教授は理事会反対教員の指導者的立場の方ですが、私は会ったことがありません。しかし、非常に丁寧な内容でした。「我々は衛藤さんを排除したいのではありません。北元理事長があまりに横暴なので、反発しているだけです。とばっちりを食わせて申し訳ありません」というような手紙だったのです。私は「土屋教授に会って話し合いたい」と北元理事長にお願いしましたが、にべもない返事でした。
今年2月10日、東京市内のホテルで、北元理事長、中川幸一専務のほか久野栄進学長(当時)ら3人の教授も交え、会談しました。そこで教授たちは私に、「やっかいなことになって申し訳ない」と何度も謝ってくれました。その後で「泥をかぶるような苦労があると思うけれど、北陸大学は団結して衛藤さんを支えますから、一緒に良い大学にしましょう」と言うのです。誠意のこもった話だったので、「こういう意見で多くの教員はまとまったのかな」と思いました。
ただ不思議なことに私の待遇については、なにも話がありませんでした。だからその場では、「感激しました。必ず北陸大学に参ります」とは言えませんでした。2月21日には教員が自主的に学長選挙を実施するという話もありましたので、その様子も見たかった。それで、「1、2週間考えさせてください」と言って別れたのです。
ホテルでの会談では、北元理事長だけは詫びの言葉を述べられませんでした。「我々は一心同体でなければならない」などと信念を説かれるばかりでした。私を問題の渦中に引きずりだしておいて、この発言ですから、非常に後味が悪かったのです。
突然の白紙撤回に理由述べず
"
教員と取引"の噂も
その後、中川専務理事と電話で話し合い、2月25日に都内で私の処遇も含めた最終的な会談を持つことになりました。その場には、北元理事長と中川専務理事、さらに久野学長の3人が来るはずでした。しかし、当日、会合の場に行くと、北元理事長しかいないのです。
いきなり北元理事長は「最初にお詫びします」と切り出してきました。「なにごとですか」と聞き返すと、「学長の件は白紙に撤回していただきたい」と言いました。突然のことで驚きましたが、私は「子供じゃないですから納得さえすれば喜んで白紙に戻します。一体、どういういきさつで急に話が変わってしまったのですか」と聞きました。けれども北元理事長は、「理由は申せませんが、お許しいただきたい」と繰り返すばかりでした。
私は学長ポストに固執してはいませんでしたが、北元理事長が「白紙撤回」を言い出した以上は、理由を聞かなければ納得できません。しかし、どうしても北元理事長は経緯を説明しようとしなかった。私は最後に「これでは了承しかねますので、法的手段も含めて慎重に検討します」と言って別れました。
それから2日後、北陸大学がなんの連絡もなしに、「衛藤氏の学長起用は白紙撤回した」とマスコミに発表したのです。これには腹が立ちました。その後、中川専務理事が「白紙に戻すにあたって、どういうお詫びをすればいいか、相談に行きます」と電話をかけてきました。そして3月5日に東京の自宅に来られました。実はそのとき、北元理事長も一緒だったのです。
北元理事長は「申し訳ありませんでした」と言うと、5分くらいで引き上げようとしました。「責任者の理事長がいなければ困ります」と引き留めたのですが、「いや、私はこれで失礼します。あとは中川が話を承ります」と言って消えてしまいました。後に残された中川専務理事も「どう後始末するかは、なにも理事長から聞いていません」と困っていました。だからなにも話は進まなかったのです。
白紙撤回の理由として理事会は、「週に3日しか来ないのでは、北陸大学のさまざまな問題を収拾できない」と言っているそうです。もし、そうだとすれば、なぜ私に相談しないのか。私とひざをつき合わせて話し合えないのはなぜか。なにか違う理由があるとしか考えられません。
後になってこんな噂を聞きました。理事会と対立する教員たちが理事長のスキャンダルを握っているというのです。理事長側は「衛藤学長」を白紙撤回することで、スキャンダルをもみ消したのではないか、というわけです。
大学改革はどこも挫折している
経営と教育のバランスが重要だ
私が学長になることは、北陸大学の教員からも反対されたわけですが、私を拒否する正当な理由はないと思います。石川県庁の幹部はこんな話をしていました。「反対派の教員は、『あんなひどいやつが学長になったら困る』と批判している。だが彼らの本心は、『大学改革しようとする優秀な人材が来るのは嫌だ』ということだろう」。
大学改革のために亜細亜大学の学長を引き受けた時も、一部の教授から反発されました。それでも「大学がこのままではいけない」という意識を持った若手教員は、私を歓迎してくれました。30歳前後の助教授や専任講師クラスの人たちです。彼らが大学改革の担い手となって動いてくれたのです。
ほとんど報道されませんでしたが、改革に対する猛烈な反発があったのです。「衛藤なんか連れてくるな」という教員の声を押し切ったのは、当時の亜細亜大学理事会会長の五島昇氏(故人・東京急行電鉄前会長)と、理事長の瀬島龍三氏(伊藤忠商事特別顧問)でした。
五島氏は「このままでは亜細亜大学はつぶれてしまう。どんなことでも支援するから立て直してくれ」と切々と説かれました。瀬島理事長も自宅まで来て私を説得されました。この時も人生意気に感じて、亜細亜大学に行く決心をしたのです。
亜細亜大学では学長に就任してから、さまざまな改革に一気に手をつけました。そこで教員は、授業の負担が増えたり、新しいことを勉強しなければならなくなったのです。これを重荷に感じた教員は、私を激しく非難してきました。
今回の北陸大学の件も、年配の教員の本心は、「衛藤に本気で大学改革をされてはかなわない」ということがあったかもしれない。これは推測でしかないけれども。表向きは、すべて「理事長の専制的な大学運営を批判しているだけ」と言っていますが、背後には「全国に名の通った大学でなくても、給料がもらえればいいじゃないか」という気持ちがあるのかもしれません。
外部から学長を呼んで大学を改革することは困難なことです。ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈さんを学外から学長に迎えた筑波大学では、最近、改革が思うように進んでいないと聞いています。鹿児島大学では、ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんを学長にしようとして若手教員が動きました。しかし、学長選挙の結果、利根川さんは大差で敗れました。
これまでのぬるま湯につかっていた教員は、大学改革を望まないのが現実です。それだけに理事会がしっかりしなければ、改革はできないし、大学経営もうまくいきません。もちろん、だからといって理事長の独裁では困ります。経営にあたる理事会と、教育担当者である教員がバランスよく機能することが、大学改革を進め、経営を安定させる秘訣だと思っています。