北陸大学の正常化を目指す教職員有志の会会報第16号(1998.1.30発行)
教職員の皆様へ
論 説
理事長名義の新しい文書について
一 まえがき
平成10年1月19日付けで、「教員各位」に対する理事長名義の文書が、学長名義の文書や学長任用規程改正案とともに、各教員毎に配付されました。配付方法の異常さに驚かされましたが、その内容は全く新味のないもので、ほとんど真面目に読まれず、すぐに忘れ去られるものとなるでしょう。
しかし、これらは実際には重要な意味を持つ文書であり、決して放置してよいというものではありません。これまでと同様に、その内容と意図を十分かつ慎重に検討しておくことが是非とも必要であります。とくに理事長の文書は、それが現在の本学の最高責任者の見解であるという意味で重要
であります。
この文書の内容を問題にする前に、その前提として、昨年の10月13日に「職員各位」にあてた理事長名義の文書が配付されていたことに言及しなければなりません。そこでは、理事会の基本的な考え方・方針として、3つの問題が指摘されていました。第1は「理事会と教学の協働関係について」、第2は「管理運営について」、そして第3は「経理の開示について」であります。
これらの問題のうち、今回の文書は、とくに第1の問題について、学長任用規程の改正に関する理事会の態度を示したものであるということができます。したがって、今回の文書については、とくに前回の文書との関連を念頭におく必要があるのは当然ですが、不思議なことに、今回の文書には、全くその関連が示されていません。第2および第3の問題も、引き続き文部省の行政指導の重要な項目として継続しているはずですが、これらの点については一言も触れるところがなく、またその見通しも示されないというのも、異常といわざるをえないように思われます。
その上に、前回の理事長名義の文書については、すでにその直後に、教員有志の会の側からかなり詳細な批判的な検討と提言がなされていましたので(有志「会報第13号」)、それも考慮に入れた文書が出されてしかるべきでありますが、その批判と提言も全く無視されたままになっています。そのことは、依然として本学には「トップ・ダウン」方式しか存在しないために、論議が深まらず、一方通行と繰り返しに終始するという無責任で無気力な状況が続いていることを意味します。いつになったら、この沈滞した雰囲気を一新できるのでしょうか。
さて、今回の理事長の文書の内容についても、前回と同様に、その趣旨をできるだけ正確にフォローした上で、これに批判的な検討を加えておくことにします。
二 教員案に対する評価
あいさつに続く第2段落においては、昨年来学長選任のあり方について全学教授会において審議が重ねられていますとした上で、常任理事会は従来の選任方法を改め、別紙の学長任用規程案を提案していますが、全学教授会構成員のうち教員独自の学長任用規程案を提案されている方々は、理事会の裁量権を排した公選制を主張されていますとし、しかし、私立大学の教員と理事会との協働関係の構築は、その当時者である教員側と理事者側との相互理解と尊重によってのみ可能となることをご理解頂きたいとされています。
以上のところでは、全学教授会に提案されている教員案が「理事会の裁量権を排した公選制」を主張するものであって、それは私立大学における教員側と理事者側との協働関係の構築にそぐわないので不適当であるという趣旨のようであります。しかし、その論旨は決して明瞭であるとはいえず、その根拠も説得的だとは思われません。
まず、いわゆる教員案が「理事会の裁量権を排した公選制」なのかという事実認識の問題があります。教員案の下では、理事会側も教員側も同等の候補者推薦権を有し、それを互いに尊重しあって候補者を調整した上で、あとは教員の公正な選挙によって決しようとするもので、理事会の意思や意向が排除されるということは全くありません。むしろ、互いに他を排除しないという制度こそ、教員側と理事者側との相互理解と尊重によって協働関係を構築する前提になると考えられているのであります。
しかし、ここで「理事会の裁量権」といわれているのは、実はそれ以上のことを意味しており、具体的には、理事会側が教員側の推薦権や選挙権を制限しまたは排除することができるような制度のことが念頭におかれているように思われます。つまり、理事会が学長選任の実質的な優先決定権を持たねばならぬというわけです。教員案では、それが保障されないという点こそ、理事会や理事長が教員案を不適当とする本当の理由であるといってよいでしょう。しかしこれを、理事会側と教員側の協働関係の構築と相互尊重の理念で説明しようとすることは自己矛盾であります。なぜなら、理事会案の下で、理事会側が学長候補者選考会議で教員側からの推薦者を「排除」できるものとしますと、それは「教員側の推薦権と選挙権を排除した」ことになり、協働関係の尊重という理念に直接反することになるからです。
ただし、教員案の下でも、学長の任命権が理事会と理事長にあることは当然の前提であり、そのことが否定されているわけではありません。問題は、学長の選任については教員による選挙の結果を尊重して理事会が決定するという制度と慣行の下でこそ、安定した協働関係の構築が可能になるはずのものであるという点にあります。それが私立大学における常識的な解決であって、現に多くの他の私立大学がそのようにして協働関係を構築しているのであります。それが本学でできないという理由はないはずです。
三 理事会案に対する評価
さて、理事長の文書の次の段落は、かなり長く、改行がないので、読みにくいものになっていますが、その趣旨は以下のように要約できるでしょう。すべての私学は固有の由来、伝統、理念をもっており、本学もまた、独自の歴史、精神性、理念をもっていることを前提として、理事会は、私学としての本学の独自性を踏まえ、かつ教学の意向を十分に反映し得る学長選任のあり方について熟慮を重ねた結果、新たな学長任用方法を提案していますとし、最大の使命である教育・研究の質的充実と発展を図るためには、教学と理事会の接点に立ち、教育・研究の牽引者たるべき学長に適任者を得なければならないという趣旨から、ここに示す学長選任のあり方に是非ともご理解をいただきたいというのです。そして、理事会は全学教授会を通じてさらに教学の意向を汲み取る努力を続ける方針であり、今後さらに議論が深まり、教学運営の揺るぎない礎となる学長選任方法が確立されることを期待しますとし、教員代表を含めた選考会議において、教学の未来を託するにふさわしい学長の人選が、選考に携わる一人ひとりの責任と良識により、円満に進められることを切に望むものであるとされています。
以上は、この文書の重要な部分であり、慎重な検討を要します。まず、私学としての本学の独自性というものが強調されている点は、これまでの理事会や理事長の文書の中に繰り返し出てくるものですが、その実体と内容が何なのか全く示されることがないという不思議なものであります。本学の建学の精神・伝統・理念を守り発展させることは、もちろん重要なことであって、誰にも異論のないところですが、問題は現在の理事会のとっている体制と方針を正当化するために本学の「独自性」という言葉が用いられているのではないかという疑念を払拭できないという点にあります。しかし、本学の「独自性」でもって文部省の行政指導を受けざるを得なくなった現理事会の体制や方針まで正当化することはもはやできなくなっています。文部省の求めている大学の「正常化」は、理事会の体制と方針自体に反省と転換を要請しているといわなければなりません。
さて、理事会は、本学の独自性を踏まえ、教学の意向を十分に反映し得る学長選任のあり方について熟慮を重ねた結果、新たな学長任用方法を提案したといわれるのですが、この点こそ大いに問題であります。まず、理事会が真に主体的に改正案を検討して提案したのかという疑問があります。学長案や理事会案は、昨年10月の段階で、文部省の示唆を受けて、はじめて表面化したものであり、それは4月以降の全学教授会における審議の経過を全く無視して突然出てきたものであります。熟慮を重ねたということですが、理事会における審議の経過とその内容を具体的に明らかにして頂きたいものです。すでに提案されている教員案についても、真剣に検討されたのでしょうか。教学の意向を十分反映し得る学長選任のあり方を熟慮したといわれるのですが、理事会の審議の過程で教員側の意見、とくに教員案の提案者の意見を実際に聴取されたのでしょうか。そこには、評価以前に、事実経過についての意識的な誤認があるといわざるをえません。
また、内容的に見ても、理事会案は、理事会の意向を十分に反映してはいますが、「教学の意向を十分に反映した」ものとはとてもいえません。学長候補者の選考会議に教員の代表を加えたことが、教員の意向を反映することになるという趣旨だというのでしょうが、そのことから選考会議が「選考に携わる一人ひとりの責任と良識により、円満に進められる」ことになるとは到底思えません。その理由はきわめて単純です。なぜなら、「新しい学長任用方法についてご理解を頂くために」という別の文書の中に、「学長候補者選考会議においては・・・・・・・理事として学校法人経営の一翼を担い、建学以来の設置者が定めた教育目的を具現化する責任者として、理事会の支持を得られる方でなければならないという観点から、適任者と思われる数名の方を選出します」と明記されているからです。つまり、教員が加わって候補者を推薦しても、その方が「理事会の支持を得られる」方でなければ、選考会議の段階で候補者から排除されることが、最初から予定されていると解釈する以外にはないからであります。
したがって、すでに多くの教員が見抜いており、そして理事会案の提案者自身もひそかに見通しているように、この理事会案が実施されたならば、選考会議において多数を占める理事側によって、理事会の支持を得られる人だけが候補者として選出され、その候補者について教員による選挙が行われるということになるでしょう。そして、理事会側と教員側との対立が続いている現状の下では、多くの教員はそのようなナンセンスな選挙には参加しないでしょうから、結局教員の多数の支持を得る候補者は決して得られず、その結果、最終的には、選考会議で理事会の支持を得た人が学長に選ばれることになるでしょう。理事会案には、そのような選挙不成立の場合をあたかも予期したかのように、選挙不成立の場合には選考会議で学長を決定するものとされているのです(17条2項)。これでは、最初から理事会が学長を選ぶ「任命制」と結果的には何も変わらないことになります。そして、現在のように、教員には全く支持されない学長が居すわるという状況が続くことになるのは必定です。理事長が是非ともご理解を頂きたいといわれても、教員側がどうしても納得できない最大の理由がここにあります。
なお、理事長は、全学教授会を通じてさらに教学の意向を汲み取る努力を続ける方針であるといわれていますが、これまで全くその努力をしてこなかった理事会が今後もそのような努力をするとはとても考えられません。それよりも、何よりも全学教授会の審議とその意思形成自体が、ほかならぬ現任命学長による議長権限のいちじるしい濫用によって制約され、無理やり阻止されているというのが憂うべき現状なのであります。実際には、任命学長や任命学部長などの役職者を除けば、全学教授会の構成員は全員一致で理事会案に反対し、教員案を提案しており、学長がその採決を妨げようとしているにすぎません。たとえ学長個人が教員案に反対であるとしても、全学教授会としての意見の集約と形成まで阻止することはできないはずです。これはもう、常識を逸した議事運営であって、その点だけでも学長の責任は重大だといわなければなりません。
さらに、3学部とも、理事会案よりも教員案に大多数の賛成が集まるという意思形成がすでになされており、教員の間で積極的に理事会案に賛成する意見はほとんど主張されていないというのが現状であります。そのような現状の中で、理事会案にご理解をといわれても、議論が深まるどころか、平行線を辿って事態は一歩も前に進まないことは目に見えております。しかも、すでに1月末の時期であることを考えますと、このままでは新年度からの「正常化」に間に合わないおそれが大きいのです。この点について、理事長は、どのような現実的見通しをもっておられるのでしょうか。
四 今後の課題
この文書は、最後の段落で、今年度の入学試験の志願状況がまさに危機的な状況にあることを認め、本学が新たな世紀において確たる足取りで前進し、発展を遂げるためには、もはや一刻の停滞も許されませんとし、このような危機を乗り越え明るい未来を切り開くべく、各位が心を一つに進まれることを切に願うものであるとされています。
たしかに、入学志願者の急激な減少は、まさに本学の危機的状況をあらわすもので、もはや一刻の停滞も許されないという認識は、われわれも全く同感であります。しかし、この危機的な状況を打開するために、今何をすべきかが問題であります。「各位が心を一つに進む」とは一体何のことでしょうか。理事会がなすべきことをこそ、まず提示して、教員の協力を要請すべきでありましょう。多くの教員にとって納得し難いような理事会案を提示されても、心を一つに進むということは考えられず、「停滞」が続くのみであります。そして、停滞している間に、状況はますます悪化していくおそれがあります。
今や「救国」の刷新が求められています。それは、「各位が心を一つに進む」ことを保障し得るような「新しい体制」を確立することにありますが、それこそ「理事会側と教学側との協働関係の確立」にほかなりません。しかし、それがこれまで妨げられてきたのは、経営だけでなく教学も理事会の包括的な権限内にあるとしてきた「本学の独自性」にあることが今や明白になりつつあります。それは、学長、学部長の選任のみならず、教員の人事権まですべてを理事会の専決事項としてきた「翼賛体制」に由来するものであるといってよいでしょう。
ただし、このような制度の下にあっても、たとえば理事会が教員の信任の得られる人を学長や学部長に任命してさえいれば、教員の意思が反映されて協働関係が生まれる可能性があったはずです。したがって、制度自体が問題なのではなく、理事会に教員の意思を反映させる姿勢があるのかどうかが問題なのです。そして、その際、理事会にとって批判的な意見も反映されるという点こそ重要なのであります。これは、普通の私立大学では当然のことですが、それが本学には妥当せず、批判的な意見が反映しなくなっている点に最大の問題があるように思われます。本学で、なぜ学長公選制の要求が起こり、それが急速に教員の間に広がり定着したのかという理由もまさにこの点にあります。
したがって、本学における救国の改革は、大学の経営と教学を分離して、その責任を理事会と教授会で分担し合い、学長を通じて両者の協働関係を図るという方向に踏み切る以外にはないと思われます。そうすれば、教員「各位が心を一つに進む」ことが可能になり、教育・研究が充実していく展望が開けることになるでしょう。
それは、理事会側が一方的に教員側に譲歩することになるという反論があるかもしれませんが、決してそうではありません。それは、理事会が教学について教員を信頼してその自己責任を高めることを期待するものであって、教員側には今よりも大きな責任と自律機能が要求されることになります。そして、理事会は経営責任に専心することによって、教員側の信頼を得るべく、相互に努力し合う形での協働関係の確立を目指すことができることになるでしょう。
大学の未曾有の危機的状況を前にして、多くの教員は、このような方向への転換を心から待望しています。それ以外には本学の生き残る道はないこと、しかもその時機を失すると、もはや回復が不可能になることを心底から危惧しているからです。
今や、理事会、とくに理事長の早期の決断が要請されています。事態がこのままに推移して停滞が続きますと、入学志願者数の回復はおろか、さらに激減するおそれがあるだけでなく、教職員も「やる気」を失って投げやりになり、協働関係はますます疎遠になり、最終的には混乱が発生して、大学が崩壊するおそれすら心配されます。
理事会と理事長の「英断」を切に願うものであります。