北陸大学教職員組合ニュース第81号(1997.7.10発行)

 

 

 

「人事考課」 で直ちに協議を と主張した法人側

 

団交に応じない不誠実さ!

 

 夏期賞与の交渉はなんとか決着し、7月2日に賞与が支給されましたが、遅れた理由は、法人側が「賞与の人事考課」にこだわったためであります。団交の最初では、事務職員についてはこの夏期賞与から実施するとの主張であり、これは組合側の強硬な反対で中止させました。法人側は今度は、「冬期にはぜひ実施する」としました。人事考課の本来の目的に照らして考えれば、今は実施できる学内状況になく、正常化してからとの組合の主張に、法人側は理解を示しつつも、交渉は法人主導で行うという態度から一歩も譲らず、膠着状態が続きました。しかし、6月も月末になり、支給を遅らせると経営責任になるとの組合側の指摘に、「人事考課実施に向けて、直ちに協議に入る」という条件を突きつけてきました。本年度の給与改定交渉をはじめ、多くの課題が何一つ解決していないにもかかわらず、我々教職員の人事査定を殊更強調するあたり、法人側の不健全な意図が表れていますが、法人側はこれを夏期賞与支給の前提にしたため、この要求を入れた確認書(組合ニュース第77号に掲載)を交わすことで決着させました。

 ところがどうでしょう! 7月に入っても法人側から「協議したい」という申し出が一向にありません。そればかりか、先日組合側が申し入れた団交要求(7月9日開催)さえも、理事不在で相談ができないという理由で、拒否されました。理事の所在がわからない訳でなく、明らかに怠慢です。

 これでは、「直ちに協議する」という法人側の真意を疑わざるをえません。この主張のために団交が決裂し、夏期賞与支給が7月にずれ込んでしまったことをどう考えているのでしょうか。無責任体質そのものではないでしょうか。

 36協定にしても同様です。協定を取り交わさない法人は怠慢です。5時を過ぎても多くの学生達が正規の講義や実習に残っているという現実があるにもかかわらず、この4月から今日に至るも放置したままで、一向に協議したいと申し出がありません。一旦事故が起これば、法人・管理局の重大責任になります。

 この様な状態は、まともな経営者であれば、いてもたってもおられない心境になっているはずですが、平然としている本学理事達には“経営者感覚”が無いのでしょうか。

 組合は、今回の団交申し入れ書に、「理事長の団交不出席」と「財務諸表公開拒否」について、理事長宛に質問書を添付し、文書にて明確な理由説明を求めています。

 組合執行部は、今後も徹底して法人側の不誠実な態度を追及し、一連の問題の責任の所在を明らかにして行く決意です。

 

 組合アピール(6)

 

北陸大学の歴史に正しい理解を

 

〜 学校法人北陸大学にオーナーはいない 〜

 

 学校法人北陸大学寄附行為

  第5条 この法人に役員を置く。

   (1) 理 事  8人以上13人以内

  (2) 監 事  2人

 2 理事のうち1人を理事長とし、理事会において選任する。

 

 北陸大学の寄附行為を見ると、理事長は理事の中から、選挙によって選ばれる。そこには理事長の絶対性はなく、構成する理事らの総意として選出されるに過ぎない。理事長に問題があれば、理事会において解任することもまた可能である。

 企業や法人のトップが取締役会(理事会)によって解任された例は、有名な三越事件をはじめ枚挙にいとまがない。例えば、フジサンケイグループ議長であった鹿内宏明氏(当時47才)の解任劇もまだ記憶に新しい。傘下の企業数約100社、従業員12,000人のフジサンケイグループ議長の鹿内宏明氏は、92年7月21日、産経新聞社の取締役会での解任動議が16:3で可決され、社長を解任された。これがきっかけで、フジテレビなどグループ企業は一斉に、鹿内氏を事前説得し、社長や会長の退任を決定した。その結果、グループ議長も解任されたのである。特にイメージダウンにつながる不祥事や、違法行為があって責任をとったわけではない。目立った権力闘争の結果でもないが、“たまりかねて”のことであったようである。

 鹿内宏明氏は、父鹿内信孝氏(元議長)の意向を受けて、89年にグループ議長についたが、結局、「公器であるマスコミを業とするグループの長としての資質が欠落している」という本質的な理由と、1) 企業の私物化、2) 不公正な人事、3) 世襲制の踏襲、4) 元議長(父)への法外な退職金 の付帯理由で、その地位を追われたのである。 (当時の朝日新聞などの記事より)

 北元喜朗氏を理事長とする理事会が、故林屋亀次郎氏の学園創設時の理念を持って北陸大学を管理運営しているのかどうか、個々の事象について検討し見極める必要がある。むろん、理事の構成や、北元喜朗氏を含めて法人幹部の本質、なによりも公教育を担っているという自覚と見識があるのかどうか、そして公平で的確な業務遂行能力、いわば本人の資質について厳しい目を向けなければならない。最近の一連の不祥事とその処理のまずさというか、無為無策にあけくれる理事会と北元喜朗理事長が、世間に対してばかりでなく、我々教職員や学生と父母に対してどれだけの責任を果たし得るのかを見定めなければならない。例えば文部省の行政指導に、法人理事会はどのような善後策を講じ、いくつの項目について改善し、我々に説明したのかを考えてみればよい。教学との協働関係の確立について、理事会がいつ、どこで、どのように努力しているのか、全く見えてこないのである。理事の1人である佐々木学長もまたしかりである。改革への公約(「 With」 での所信表明)を積極的に実行しているとは思えない。

 このような理事達や学長の無責任ともいえる消極的な態度では、徒に時が過ぎるばかりで、何の改善も改革も期待できない。今や彼等は教職員の信頼を完全に失っており、ますます事態は悪化している。不信任状態の学部長も全く動かず、学部教育で多くのことが停滞しつつあり、一刻の猶予もできない状態にある。北陸大学を“無気力で駄目な大学”にしてはいけない。教職員の多くは、改革のきっかけになればと正常化のための有志の会を作り、積極的な取り組みを考え始めている。学部選出の全学教授会メンバーは、学長公選制の実現に向けて努力している。教職員組合は、ストも辞さない覚悟で、法人理事会の責任を徹底追及しようとしている。バンダイは、セガとの合併計画を白紙撤回して社長が責任をとった。社長の言によれば、会社のイメージダウンよりも、「社員の信を失った」ことが辞任を決意させた。このような社会常識の中にあって、虚偽報告などの不祥事に、我々に一言の釈明もない学校法人の理事長とは、一体何なのであろうか。虚偽報告は、うっかりミスで他意はないというものではない。最初から文部省を騙す意図で行ったことがはっきりしているのである。

 北陸大学の歴史を振り返れば、私財を投げうって学園を創設した、いわばオーナー的人物は存在しない。よって当然のことながら、北元喜朗氏以下、学内の理事達は、我々教職員と同じく、みんな雇われた者である。学生納付金と国庫補助が収入である大学で、その収入の配分についてのみ決定する機関として置かれる理事会の理事達が、法外な報酬をえる理由は一つもない。我々の給与に役職手当を付加すれば十分である。理事達の収入が同年代の教授職クラスであったとしても、生活に困ることは何もない。現役教授や一般職員が主体になった理事会や、あるいは主たる収入を大学に求めない理事達で立派に学園を運営している大学はいくらでもある。

 今の理事達が教育支援や労務管理のエキスパートであるとは到底思えない。もっと公平に学内システムを動かせる人物は大学内外にいくらでもいよう。もっと快適に教育環境を整えられる人材はいくらでもあろう。定型の収入があり、教育スケジュールに合わせた定型の業務が主体の大学は、企業ではない。その理事達に求めるものは、正直な経営姿勢である。信頼される人物像である。経理の公開は当たり前のことである。年間100億円も動かす法人組織であったら、資金運用のチェックに、あるいは経営体制の評価に“株主総会”以上の厳しさがあって当然であろう。

 学校法人の理事長や理事達は絶対的なものではない。理事会とは、いわば大学を管理運営する委員会の如きものであって、2〜3年で委員の交代があるように、理事会にも刷新を求める必要がある。本学の寄附行為の記述に続いて、下記の記載がある。これが北陸大学の歴史である。

本学理事会が絶対的権力を持った不変なもの と考えることは、今日かぎりやめることにしよう。そのような考えが、理事会を特別なもの、従属すべきものとした錯覚におちいる結果になる。

 

附則 2.この法人の設立当初の役員は、次のとおりとする。

 

        理 事  林 屋 亀次郎 

       (理事長)

        理 事  直 山 楢 一

        理 事  鵜 飼 貞 二

        理 事  山 本 康 二

        理 事  藤 田 六 朗

        理 事  荒 川  宏

        理 事  嵯 峨 逸 平

        理 事  北 元 喜 雄

        理 事  三 浦 孝 次

        監 事  田 中 嘉太郎

        監 事  油 谷 外 郷

 

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