北陸大学教職員組合ニュース263(2007.12.13発行)


5回団交報告

年末賞与またも団交前支給

団交欠席を詫びるも、不誠実交渉に謝罪なし


 127日、今年の年末賞与も教職員組合との団体交渉前に支給された。

確かに理事会は、123日の団交で前年比0.2ヶ月減(夏と合計すると0.4ヶ月減)の支給率を提示した。しかし、理由の説明には具体性がなく納得できないこと、もともと組合は6ヶ月を要求し、経営指標から見ればそれは可能であることから、組合は再考を求めた(「組合ニュース」260号)。これからが交渉である。ところが、双方開催に合意した125日の団交は、2時間待たされたあげく、理事会の交渉責任者不在のため不成立となった(「組合ニュース」前々号及び前号)。組合は、双方の主張(組合要求は6ヶ月)の隔たりが大きいので、127日に十分時間を取って賞与交渉を継続することを要求した。

 126日、理事会の交渉担当者は組合委員長を訪れ、127日年末賞与支給の通知書を置いていった。数分後には、各教員のメールボックスに翌日の賞与支給の案内が入った。ここ数年の賞与交渉経過とまったく同じパターンである。理事会担当者は、毎回謝罪の意を表し、次回はこんなことがないようにすると口約束する。しかし、判で押したように同じことが繰り返される。これは、担当者でなく、理事会の問題だ。理事会は、労働委員会から命令されようと、裁判所から否定されようと、まったくやり方を変えようとしない。日本国の法律下では、労働条件に関して労働組合無視は不当労働行為であり、組合との実質交渉・合意のない賞与支給も違法性を帯びた不法行為だ。このような反社会的不法行為が常習的に行われていて、どうして教育機関を標榜できるのか?理事会は、相手が労働組合なら、何でも許されると考えているのだろうか?大学としてのモラルの危機にあることに思いを致すべきだ。

 127日の団交の冒頭、組合は、賞与交渉の山場であった125日団交の不成立と、それまでの団交遷延に対して強く抗議し、謝罪を要求した。これまでの経過から、当然、今後このようなことをしない、という確約を伴った文書謝罪である。125日に欠席した労務担当理事は、団交不成立について、「対応の拙さは注意した、迷惑をかけたからお詫びする、しかし、『組合ニュース』で詳細に書かれたから、禊ぎは済んだと思う」と詫びた。が、文書謝罪については、「文書謝罪をする、しないについては権利を保有している」と述べるにとどまった。交渉の遷延については、労務担当理事は「団交を拒否するつもりはないが、いろいろ事情がある。(賞与交渉の対応は)問題は問題だが、私の責任、不徳の致すところ。今後、そういうことにならないようにということは毎回感じている」と発言した。組合は、個人的な心情、見解でなく、法人の見解を伺いたい、と求めた。それに対しては、「労務担当者として私が言えば、法人の答えとして聞いてもらえばよい」、ということであった。しかし、文書謝罪は拒否し続け、最後には、「支給日発表のタイミングが間違っていた、余裕をもった支給日を設定すればよかった」と、釈明の論点がずれてきた。組合が求めているのは、法律が定める正常な労使交渉である。議論が空回りし始めたので、組合は、このようなことが繰り返されることに対し、後日理事長宛に文書で抗議するから、謝罪と今後の確約を文書でいただきたいと要求し、次の交渉事項に移った。


0.2ヶ月減は教育成果不足だから−こんな勝手な論理が許されるか!

不当減額に対し、組合は上乗せを要求


  組合は、今回の賞与支給について、交渉がまだなされていないことを理由に、0.2ヶ月減の支給を暫定支給と受け止め、一律金であろうと、何であろうと、上乗せを今後の交渉課題としたいと要求した。理事会側は、「現在の時点で方針に基づいて(0.2ヶ月減を)示した。薬剤師国家試験や英検等の業績が不十分であったからだ。そういうところに起因する合計0.4ヶ月のマイナスであり、それらの結果次第で状況の変化はあり得る」、と見解を述べた。前回団交では、主として財務の先行き不透明感を理由とした。しかし、今回は、教育目標未達成を主な理由として挙げた。

 組合:組合は大学の財政状態から6ヶ月を要求した。それが可能と判断した。資産の蓄積状況からすると、人件費減は理解しがたい。教育の業績は、営業成績ではない。賞与は「教育の成果」と無関係な賃金、年収の一部だ。

 理事会:「教育の成果」が大切だ。国試は教育目標であり、英検2級をお願いしているが、業績が上がっていない。努力不足と見ている。

 組合は、どういう基準で評価しているかを問題にした。薬学部においては、1学年5百数十人とふくらんだ状態にある、最近では、入学者の学力の低下が著しいと見られる、理事会は、大量に入学させながら、基礎的条件を無視してすべてを教員の責任に転嫁しようとしている、「教育の成果」を賞与に絡ませるべきではない、と主張した。理事会側は、定員増も含めて薬学部の学生数がふくらんだことに対し、「それを決めたのは理事会ではない、理事会が決めたとなれば議事録がなければならないが、そんな議事録は見たことがない、入試委員会が決めたのではないか」と発言した。これは、誰もが信じがたい責任転嫁の言い逃れに過ぎない。

事実はどういうことか?理事会は平成16年から法学部・外国語学部の定員を薬学部に移し180名の増員とすることを決定した(第188回理事会)。そして、よく知られていることだが、理事会は通常の入学定員に上乗せして予算定員というものを設定している。そのように土台を作り、薬剤師教育の一種の駆け込み期に大量の学生を入学させた。普通に考えれば、学生の学力レベルは低下し、教育条件も悪くなる。ところが、理事会は、学生数の倍増にあわせて、薬剤師国試100%達成計画等と現実離れした達成目標を設定し、それが達成できていないのは教員の責任として賞与(年収)を下げる。経済的に見れば、これほど都合のよい論理はない。この論理は、学生数こそ違え、未来創造学部にも当てはめられている。理事会は、一方的に「意識改革」を押しつけ、教育の成果を錦の御旗にしているのだ。これは大学の道理に合わない。教員の業績、教育の成果の問われ方は別なところにあるはずだ。

「意識改革」や「成果」は誰も否定できない、「学生への愛情」も勿論だ。しかし、教員はどんなに努力しても限界がある。自分の仕事はこんなはずではないという矜恃もある。「聖職者」とはいえ自分の生活もある。教員は自虐的に自らの力不足を認めるしかないのであろうか?この大学の教員は、不測の評価に怯え、沈黙するしか術のない存在なのであろうか?一方で、一部理事は、「国立大学法人の長」より遙かに高額の報酬を得ているという風評が絶えない。財政切迫、先行き不透明という理事会の説明の中で、組合がその事実を明確に確認しようとすると、答えることを拒否するだけで、否定しない。都合のよい論理といい、「意識改革」と事実の乖離といい、さらには、どこで物事が決定されるのか不明な、朝令暮改の教学運営といい、北陸大学の不条理の闇は深い。

組合は主張したい。例えば「学生への愛情」は評価できない。金銭に換算することはやめるべきだ。理事会は、財源があるなら(『With』掲載の財務資料によれば十分にある)普通に報酬を支払うべきだ。これは「悪平等」ではない。角を矯めて牛を殺す、という諺があるが、理事会が事実として教学を萎縮させるものでしかない教学介入・教員支配を止め、教学のことは教員の選んだ学長に委ね、教員の創意と自主性に任せれば、北陸大学は今よりも遙かに「教育の使命」を果たせる。これは組合結成当初からの確信だ。

この件については、組合は、不当な減額であるから、年内の団交開催と賞与の上乗せを要求する、ということで打ち切った。再度確認したい。財務状況からすれば、今年度6ヶ月賞与は可能なはずだ(「組合ニュース」260号)。


「特例の賞与」とは何か?−根底に、賞与は「褒賞」

不当な不利益変更だ


上記の問題は賞与の性格、位置付けとも密接に関係している。賞与については「組合ニュース」259号でも言及した。さらに付け加えると、北陸大学の就業規則では、賞与は「学校法人の業績を勘案し、理事長が可能と認めたときは、賞与を支給することができる」と明記されている。ここには、「教育成果」という概念はない。給与規程にあるのも「人事考課」で、それは教員の場合3月に適用される。

 今回の賞与支給で、夏季賞与時に続き、賞与とともに学長名の文書が手渡された。それは「特例の賞与について」と題されていた。組合は、団交で、「特例の賞与」とはどういう意味か、質問した。それとともに、学長が言明した一部教員に対する「お心づけ」についても、どういう趣旨のものか質問した。理事会側から、思わず「困っちゃったね」という声が漏れた。

「特例の賞与」に対する返答としては、二つの見解が述べられた。一つは、先行きの財政逼迫の予測のもとで、前倒しして支給する、という「財務管理者の立場」からの意味であり、もう一つは、「教育成果」に基づかない支給、という意味の「特例」である。すなわち、

@「示達」で示したように、平成20年〜23年は厳しい状態だ。この3年間で、学生を定員充足率1.0まで戻す努力をする。その間、年次ごとの収支差額が「赤字」になる。とはいえ、諸経費をカットできない。「減価償却資金等を取り崩して」回して、職員の生活が大きなマイナスにならないように補填する、給与が下がった分を下がったまま、というわけにはいかない、そういう意味だ。A 6月に、「教育成果」のない賞与支給は今回をもって最後とする、という学長通達があった。しかし、成果が出ていない。それでも出す、という意味で「特例」。賞与と言うだけでは賞与の意味が薄れる。賞与の目的はがんばってくれ、ということだ。だから、今回の賞与は「激励・鼓舞」だ。

組合は、@の考え方に対しては、率直に評価した。ただ、この場合でも、具体的な数値に基づくオープンな説明が必要である。この苦しいというときに、いったい理事諸氏はどの程度の報酬を得ているのか、以前取りざたされた、一部理事の高額報酬による補助金カットは解消されたのかどうか、理事長の新たな昇給は事実かどうか、等である。Aの場合は問題である。この「特例」の基になっている考え方は、「教育成果」を賞与の必須要件とする考え方である。これはすでに言及したように、前提条件抜きには成果を評価できないし、もともと、就業規則にはそのような考え方はない。給与規程には原則「夏季と年末に分け支給することができる」とあり、開学以来、「学校法人の業績を勘案して」それを慣行としてきた。したがって、支給率の問題でなく、それを「褒賞」に位置付け変更することは、重大な不利益変更に相当する。それだけではない。「褒賞」キャンペーンは、教員に責任を転嫁し、上述した現体制の本質を隠蔽する装置になっている。組合は、これらを踏まえ、不利益変更は労使協議抜きにはできないことを主張し、次回以降の団交で協議するように要求した。


規程に基づかない「お心づけ」

学長の「お心づけ」については、学長・学部長が依頼した「一般的でない仕事」に対して、少しでも「感謝の気持ち」で、という説明があった。そもそもこういう賞与の上乗せは、前回125日の賞与交渉の時、まったく出なかったことである。理事会側は、「そのことについては申し訳ない、通知しなければならないことだった」と表明した。しかし、理事会側の説明で支給の素性が明らかになったわけではない。事前に通知すれば済む問題でもない。組合は、3月の人事考課による支給とどう違うのか、基準は何か、と質問した。理事会側の返答は、3月の個人申告に基づく評価の分類に入らない業務であり、賞与として出す側の裁量と、いうことであった。組合は、何に対して、どれくらい出したか、尋ねた。労務担当理事の返答は、今はお話しできない、学長の考えがあってのことと思うが、これから学長に尋ね、自分でも納得したいと思う、ということであった。いずれにせよ、「お心付け」は、理事会が主張する「目標の達成」の点からも財政見通しの点からも根拠が明確でない。また、財源は学長個人に由来するものではあり得ない。組合は、次回団交で、どのような仕事に対し、どれだけ査定し、対象者は何人か、実態を明らかにするように要求した。


 薬学部における不当担当外し、二教授解雇問題、長年にわたる団交無視。不当労働行為はいつまで続くのか。問題は不当労働行為だけではない。これによって人心が離反していないと誰が言えるであろうか?事あるごとの通達、心構えや授業に関する細かい指示は、むしろ、そのことの裏返しと言える。大学の筋道は失われ、求心力を失い、教学の根幹が揺らいでいる。経済的な危機よりも、遙かに重大な大学の危機である。理事会の責任は大きい。



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Q:アンケート用紙の比較参照データは本当のものですか?

A:データが記載されていた『With Plus』は、大学法人の主張・見解を通知した『With』の姉妹紙です。