北陸大学教職員組合ニュース195号(2003.7.29発行)



理事会は原点に返り、新たな再出発をはかれ!



 以下は組合執行部に寄せられた投書です。現在の北陸大学の状況を見れば見るほど、先を案じる組合員の方は多いのではないかと思われます。こういうときこそ、冷静に過去を振り返り、先人の思いをたどり直し、現状打開の新たなエネルギーとしていかねばなりません。

組合員から一言

今春、若水会の席で理事長の代弁として北野理事が、今年は大学設立30周年(実際は29周年:編集部注)であり、今までは設立期、これからは発展期として、学長のリーダーシップのもと教学新体制を整え強く教育改革を実現する、と述べたと記憶している。また、Withにも同様のことが書かれている。

新体制は北陸大学丸をどこに向けて進ませようというのか。ともすれば乗組員は船底に沈められるのか。

唄を忘れたカナリヤは背戸の小薮に埋めましょか いえいえ それはなりませぬ。
 組合ニュース194号で国際人養成学部なるものを初めて知った。そのうち同様に薬学部も廃止し、イエスマン教員で構成された薬剤師養成学部なるものを造ろうというのか。

平和で心にゆとりがあった頃を振り返ろう。設立当時の登載教授はすべて退職され、今や当時を知る者は数少ない。しかし、北陸大学創設や設立の模様は松雲学園十年史に事細かく描写され、それに携わった諸先輩の努力や理想や熱意がひしひしと伝わって来る。

30年目に当り、先人の情熱と魂が風化しないように、また、温故知新の教えにあるように、今後の航路の羅針盤として一読願いたい。そして30年後の今がどうなっているか考えていただきたい。大半の人は手近に無く、図書館まで行って読む時間もなかなか取れないと思うので、核心部分である大学創設時及び開学式の文面をここに丸ごと引用するので読んでいただきたい。



大学創設の動き

石川県というよりも金沢市内に私立大学が創設認可となったのは、次のとおりである。

    金沢工業大学   昭和40125

    金沢経済大学   昭和42123

    金沢医科大学   昭和47330

いずれも昭和40年代でありこの頃金沢医科大学は当初医学部・歯学部で発足したい意向であったが,諸々の事情で歯学部を断念し,医学部1本で認可を得た。この頃であったろうか,金沢に薬科大学を創設しようと有志の会合が持たれた。

 金沢医科大学の創設が認可されたのに刺激されたものか、昭和471月の初め、金沢東洋医学研究懇話会(略称金東会、代表者三浦孝次)が発足した。

 三浦は先ず先輩である鵜飼貞二(元金沢大学薬学部長、元静岡薬科大学長)に相談し、更に日本薬剤師協会長、文部省当局と打診したところ、「設置可能」との意見一致をみたので早急に具体的に準備を進めることにしたのであった。金沢東洋医学研究会のメンバーは、次の7名であった。

 石川太刀雄丸,三浦孝次、田中嘉太郎、木村久吉、多留淳文、藤田六朗、徳久和夫

 金東会では、数次の会合の結果、学校法人名 金東学園、大学名 金沢薬科大学などを決定した。

 三浦は、教員人事について鵜飼とともに八方手を尽くして人選に奔走するとともに、その資金募集について苦心していたが、金東学園方式では実現困難と考え、金東会を脱退して次善の策を採ることとした。

三浦は金東会を脱会した田中嘉太郎とともに、三浦・田中を主軸として松村謙三教育財団を設立し、この財団をバックとして薬科大学を創設せんと計ったのであるが、この時の大学名を「日本海大学」と呼称し、総合大学への将来構想を持って田川誠一代議士に援助を懇請したこともあった。しかし、この時の大学の所在地は必ずしも金沢市としないで、むしろ松村謙三先生の郷里でも止むを得ないという考え方であった。

 三浦を中心とする薬科大学設立運動に対し、第一に協力を申し出た者に能登中央病院長奥田幸造があった。金沢市金石町の旧濤々園跡地を中心として学校用地を提供したいとの奥田の申し出があり、その現地視察も終わっていたが、奥田の死去によってこのことは立ち消えとなってしまった。なお、金沢女子短期大学及び金城学園においても協力したいとの申し出があったが、ともに貝体化するに至らなかった。

 三浦が常に慎重に自らの抱負実現の為に競合を排して初志貫徹の為に一方ならぬ苦労したことは、三浦と一体となって行動した東京の鵜飼、地元の田中嘉太郎、高畠参一郎、越浦良三の最もよく知るところであって、各方面の情報を持ち寄って協議すること数十回に及び、上京して鵜飼と協議する等、連日の協議、連夜の協議で時には深夜に、また未明に散会したことも数回であった。思えば、昭和47年は船を大海に進めながらもその波の荒さに惑い、三浦を中心とする 4名の船員は、必死に船を操った年であった。こうした努力が同48年を迎えて実を結んだのである。



北陸大学創設の具体化

昭和482 17日、元金沢市長徳田与吉郎先生を訪問して今日までの経緯を説明し、援助と協力とを要請した。

2 18日、徳田先生が上京して林屋亀次郎先生に薬科大学設立について地元有志の熱意を伝えられたのに対し、林屋先生は北元現理事長を呼び、大学創設の資金的可能性と経営についての意見を訊した上、快く受諾された。

219日、前日の報告を受けた三浦らは、太陽開発株式会社を訪問し薬科大学設立について援助の要請と今後の打ち合わせを行なった。

以上の過程を経て、昭和484 月より林屋亀次郎先生を委員長とした学校法人松雲学園設立準備委員会が発足することとなったのである。

事業は、一朝にして成るものではない。大学を創設する為に絶対に排除しなくてはいけないことは、私利私欲である。何の名誉欲でもない、権勢欲でもない。己を空しくして真理探求の場を築こうとする学問への情熱のみが、大海での羅針盤であった。





               

 本日茲に開学を挙行するに当り各界多数の御来賓をお迎えできましたことは、私の生涯における最高の光栄でございまして、衷心より厚く御礼を申し上げます。

 私は静かに過去をかえりみますとき、いくたの波乱を越えて心の支えとなったものは、1つには神仏の加護であり、2つには多くの方々との友情と社会の恩恵であります。この2つに対する報恩感謝の念こそ私が大学設立を思い立った動機であり、国家社会に役立つ有為の人材もこの精神的背景を基盤とした教育によってのみ生まれることと信じたからであります。

申すまでもなく大学の使命は学生に対して広く知識を授けるというだけではありません。同時に深く専門の学術を研究する最高の研究機関でもあり、有為な学者、研究者、技術者の指導育成の機関でもあらねばならぬのであります。更に本学に学ぶ学生は自然の恩恵の中に脈々たる生命のとうとさを知り、真理を探究するよろこびを体得して新しい日本の形成者たるの自負を持っていただかなくてはなりません。

 幸にして医王山の麓、春は緑に秋はもみじのやまふところに抱かれたこの地こそは、来たりて学ぶ者にとっても、共に真理を求め合う教師にとっても最もふさわしい環境であると思うのであります。又教員は学生とのふれ合いに全人格を投入して学生の人間形成に力を致し、ひいては人類の文化の躍進と福祉の向上に貢献することを以て本来の使命とすることを忘れてはならぬと思うのであります。

 したがって私は常に優れた教授陣容の充実をはかるとともに世に誇り得る研究施設を完備して、かつて英国の詩人が 「地上にあるものの中で、大学ほど美しいものはない」と言ったことばをそのまま本学に具現したいと祈念するものであります。

 しかしながら私は齢い既に九十をかぞえております。名実共に理想的な日本海沿岸における私学総合大学を建設すべく老骨を鞭打って奮闘努力をしておりますものの、私のこの理想は各位の御協力御支援なくしては到底実現出来ることではございません。新しく誕生いたしましたこの北陸大学の為に今後とも何卒絶大なる御協力と御支援とを賜わりますようお願いを申し上げて私の式辞とさせていただきます。

昭和501116

                       学校法人 松雲学園

                       理事長  林屋亀次郎

   



              開学式挨拶

唯今の理事長先生の御懇切なる式辞にもありましたように、今回新に北陸大学が発足し、その担うべき使命と責任が明かにされましたことは、まことに慶祝にたえないところであります。もとより本学は総合大学として発展するものでありまして、設立者の構想によれば唯に北陸の一私大としてのみならず、世界の大学として、人類文化に貢献すべき重責をもつものであります。この事に思いをいたす時、その責任の重大さを思い深い感動を覚えるものであります。

 ここ、金川町の台地は、見られるごとく都心を離れた、静寂なる山境であって、まことに絶好の教育環境を形成しています。特に本日は、式典を祝するか如く、四囲の全山紅葉に色どられ金色に輝き、目を見張るものがあります。かかるよき地に外観内容ともに華麗に充実した学舎を建設されましたことは喜悦にたえず、教員、学生、職員一同深甚なる感謝を捧げるものであります。日本は今や公害に汚染され、薬害に晒される等化学物質による惨禍に見舞われていることは、まことに悲しむべきことであります。

 この時にあたり国民の健康に奉仕する目的をもって、教育にたずさわっている我々教員並びに勉学にいそしむ学生共々責任の重大なるを感ずるのであります。

 もとより本学に於きましては、近代薬学の理論並びに実際の教育を行うものでありますが、唯に理論と実験を修得するのみならず、社会人として中正な思想を持し、世界的視野に立つ人間形成に努めるものであります。

 更に又教養部、薬学部ともに各専門領域に於いて新研究を推進し、発見に努め、学界の進歩に貢献するよう努力したいと願っています。

 又本学は特長として東洋の文化遺産である中国の医薬について、近代化研究を推進する希望をもっています。中国の薬物は天然物を主体としています。本学は医王山の麓にあり、この地域は名の示す如く旧藩時代より薬草の宝庫として知られ、我々の研究の素材もこの自然の中に発見されることでしょう。

 終りに、我々は「和」をもって尊しとするとの理事長先生の平素の訓戒を体し、全学和楽、平和な学園の形成に努め、自然を愛し、生命を尊び、真理を究める建学の精神を踏まえて、依託に答えたいと決意を新たにしています。

 なお本日御出席の来賓の皆様方におかれましても、何卒この上とも御支援御鞭撻の程お願い申し上げます。茲に開学式にあたり微意を述べて挨拶といたします。

昭和501116

                            学長 三浦孝次