北陸大学教職員組合ニュース186号(2002.12.6発行)
質問に答えて
本学の一教員より、以下のような質問(@〜C)がありました。今回のニュースでは、この質問にお答えします。これらの質問は、内容から見て、組合と同じく法人にも寄られたものですが、ここでは組合の視点から、答えられる範囲でお答えします。同じ質問に法人側はどのように答えるかは分かりません。したがって、法人側にも「With」などの紙面で答えるよう、申し入れをしておきました。
質問@:なぜ、今年度の賞与の支給率が低いのでしょうか? 薬学部では、入学者数が増加し、大学全体でもそれほど収入が減ったとは思えません。また、法学部や外国語学部の教員の支給率がさらに低いのはなぜでしょうか? 法学部や外国語学部をおろそかにして、大学の存続はあるのでしょうか? 今は薬学部の受験者が多い状況ですが、法学部、外国語学部がおろそかにされている大学の実状を知ったなら、薬学部への受験者も必然的に減るのではないかと危惧します。
答え:団交で法人側が、今年度のボーナスを年平均4.3ヵ月にすると回答したときに、組合側は、その理由について質問しました。その答えは、ここ2年続けて入学志願者数(受験生)が減っていること、および入学者が減少しているということでした。また、学部間格差を設ける理由としては、最初は、外国語学部と法学部では薬学部に比べて受験生と入学者が大きく減少していること、その責任の一端は両学部の教員にもあることを挙げていました。
組合側はこれに反論して、大学全体として入学者はそれほど大きく減少してはいないこと、特に薬学部での増加もあり、今年度は年間の帰属収入の面でもそれほど大幅な減収はないことを理由に挙げ、今後も交渉を続けるよう要求してきました。両者の主張には依然としてかなりの開きがあります。学部間格差を設けることについては、最近は別の理由に変わってきています。すなわち、@薬学部では講座制を取っているために外国語学部・法学部に比べて昇進が遅いこと、A薬学部での施設面での改善が遅れていることなどをあげ、一般的にこれまで薬学部の教員が冷遇されてきたことを理由にしています。以上のように、ボーナスの削減についても、学部間格差を設けることにしても、その根拠は必ずしも一貫したものでなく、不透明なものです。
質問A 今回の年末賞与において、業績評価を行うとのお知らせがきましたが、そこには「教職員のうちご希望の方には本学側提案により、年末賞与を支給します」との記載があります。提出を依頼された業績申告書では、本当に大学のため、学生のために貢献したかが反映されるだろうか、教育の質的部分が除外視されているのではないかと感じます。そのため、これに何の意味があるのかわかりません。
大学の発展、学生への教育の質的向上を目指し、それらを正当に評価する評価方法であれば、業績評価も教員の目標にもなり良いと思います。しかし、今回のような教員のやる気を全く失うような評価方法で、しかも、教員の生活を脅かしてまで、なぜ実施するのでしょうか?
答え:これは、今回法人側が実施しようとしている教員の業績評価の目的は何か、またその基準は公正なものであるかに関する質問と言い換えることができるでしょう。
まず「業績評価」の目的ですが、学長は最初の説明では「学部の自己点検・評価のため」ということを法学部や薬学部では強調していました。外国語学部でも、初期の段階では同じく、「大学の発展や学部の教育の質的向上」ということが言われました。
しかしながら、学部での説明会で、このような「業績評価」は学部の教育・研究の向上につながるか、との教員の質問に対しては明確な答弁を避けています。団交では、最近の法人側の説明は、教員の中には業績評価や大学への貢献を評価して欲しいと望んでいる教員がいる、そうした人々の声はかなり多いという説明に変わって来ています。要するに、目的が学部全体の発展・教育の向上というより、業績評価を望む教員のニーズに答えるというように変わって来ています。
次に「評価基準」についてですが、まず確認しておきたいことは、今回の評価基準作りは最初から教員の意向や意見とは無関係に進められて来たということです。学長を中心にした理事会と事務担当者の間で原案が練られてきました。そのため教員に対して説明する時にも、評価基準の内容に一貫した方針が見られず、ツギハギのような様相が見られます。
こうした基準が理事会によって一方的に決められ、それが全教職員に適用されるということを考えるなら、このような基準は自律的なものではなく、押し付けられたものとなるでしょう。関係者が押し付けられたと感じるようでは、明らかに良い基準は生まれないでしょう。学長は、何度か評価を実施して行く中で良い基準が生まれると言っていますが、予想されるのは基準が毎年変わり、教職員がそれに振り回されて行くだろうということです。もしも公正な基準を作りたいのであれば、各学部での自己点検・評価のように、教員がそれに責任を持てるようにすること、各学部からの教員の代表が最初から基準作りに参加することが不可欠だと考えます。
質問B:法人側は、有無を言わさず、業績評価申告書を提出した人には、年末賞与を査定するとのことですが、今回の業績申告書の提出は「ご希望の方には・・・」とのことですので、賛成できない場合には提出しない人もいると考えられます。万一、大学側提案に賛成して業績申告書を提出した人と、しなかった人がいた場合、年末賞与の評価分は、絶対的評価になるのでしょうか?それとも相対的評価になるのでしょうか?絶対的評価なら、もう既に基準は決まっているはずですから公表願いたく存じます。一方、相対的評価の場合には、提出しない人もいる場合、どのように行うおつもりかお教え頂きたく思います。
答え:質問の中にある「絶対的評価」と「相対的評価」の意味を明確に理解することができないのですが、前回の団交での法人側の説明によれば、「業績申告書」を提出しない人はゼロ査定とみなされ、一律分しか受け取れないというのが回答でした。
また、業績評価の結果を公表するか否かについては、団交での限られた時間のために、まだそこまでは議論が進んではいません。ですから、公表するか否かについてはお答えできませんが、もしそうなった場合は、公表するのは当然と考えます。
さて、先日の臨時組合大会では、組合の方針として、「業績申告書」の提出を拒否することが決まりました。これは、法人側のやり方に対する抗議と不正なものへの非協力を意味しています。仮に大多数の教員が申告書を提出しなかった場合、その評価はどうなるのかは、今の段階ではお答えできません。今後の交渉によるものと思います。組合としては、教員の多くが現段階での一方的な「業績評価」を望んでいないこと、望んでいるのは一部の教員であることを基盤にして、今後の交渉を続けるつもりです。組合の立場は基本的に変わりません。すなわち、今年度の業績評価とボーナスへの反映には反対である、というものです。
質問C:今回申告書を提出した人は、法人に従順ないい人(法人にとって)なので、高い支給率に、今回提出しなかった人は、反抗的なわるい人(法人にとって)なので、低い支給率に、となっても、全く分からない不透明なシステムで生活給を決められるのはとても不安です。法人側が「仕事をしないやつほど、文句を言う」と言っているのを耳にし、このような安易な発言や、一方的にねじ伏せようとする態度を考えると、公正な判断がなされるのか、とても心配です。組合として、どのようにお考えなのでしょうか?
答え:この質問には、「説明責任能力」(アカウンタビリティ)という概念を使ってお答えしましょう。法人側が今回行おうとしているボーナスの査定について、これは法人側の「説明責任能力」の問題だと言えるでしょう。「説明責任能力」(アカウンタビリティ)とは、最近、政治や行政・社会学などで言われるようになって来たことですが、一般に、「政治や行政の内容に関し、人々の質問や追及に答えて説明する担当者の責任」のことを言います。例えば、政府は人々に対して、企業は株主に対して、「たんに組織や事業を円滑に運営する責任(レスポンスィビリティ)があるだけでなく、事業内容、財務など重要な事項についても十分にかつ正確な報告を行う責任を持つ」という意味です。このことは政府や行政が実施する政策や、組織が何らかの方針(ポリシー)に基づいて、あることを実行しようとする際にも当てはまると言えるでしょう。
これを本学の場合に当てはめて考えると、ボーナスの減額であれ、学部間の格差、「業績評価」であれ、法人側は何らかの方針に基づいて何かを実施したり、アクションを起こす際に、この「説明責任」ということをまったく果たしていません。
方針の決定は、全ての教職員に関係することであるにもかかわらず、その関係者とまったく関係がないところで決められ、実行されています。情報公開の代わりに「一方的な通告や回答」があり、もう少し時間をかけて交渉しようとすると時間がないという理由で案を「強行」しようとして来ました。確かにいかなる案や方針も完全ということはなく、現代の民主主義にも欠陥があります。今日の政治の世界では多くの場合「観客民主主義」となっていることは事実です。ですから、そのための一つの歯止めとして、「説明責任能力」という考え方が生まれ、言われているのだと思います。
先日の臨時組合大会の席上で、ある人が、「法人側との団交は、現在は、北朝鮮の政府代表団と交渉するようなものになっている」との意見を述べました。確かに、決定権を持たない代表団は肝心なところでは答えることができず、ただ座っているだけとしか言いようがないようにも見えます。しかしながら、他方で、北朝鮮に拉致された家族を持つ人々で構成された「家族の会」が、国民に向けて堂々と自分たちの考えを発信し続けていること、彼らを支援しながら闘っている多くの人々がいることもまた事実です。「家族の会」は互いの連帯を表す意味での、象徴的な「青いリボン」をつけていますが、われわれにとっても大切なことは、お互いの協力と連帯だと思います。
組合としては、やはり交渉の相手である法人側の「理性と良識」に訴えて、今後も交渉を続けていく方針に変わりはありません。
以上