北陸大学教職員組合ニュース第183号(2002.10.4発行)

 

       

「教員の教育・研究業績評価」について                               

           

「教員の教育研究業績に関わる評価」(案)、これまでの経緯

夏休みの最後に、学部ごとに、法人側から「教員の教育研究業績に関わる評価」の基準案が示された。これはもちろん理事会の案である。その内容は、学部によってちがうということもあり、各学部の教授会および薬学部では助手の方々の集まりにおいて、法人側を代表して、学長および中川専務から説明された。

各部においても、教員個人としても、現在この問題に対する関心は高く、またいろいろな面で疑問を持っている方は多いと考える。今後、教員間で、この問題についての議論がますます活発となり、問題点が明確になり、どのような方法が良いかについて、各学部内でまた教員と法人側の間で、コンセンサスが得られることを望みたい。   

組合としては、今後学部での議論と並行して、さまざまな観点からこの問題を取り上げ、その都度一定の見解を示して行きたいと考える。これからしばらくの間、組合ニュースの紙面においても、できるだけ多くの人々の意見を取り上げ、活発な意見交換の場を提供していきたいと考えている。

 

「教育研究業績評価」の目的、法人側の説明

まず確認しておきたいことは、今回、法人側が本学においても教員の業績評価を採用し、これをボーナスの査定に反映したいとしている理由についてであるが、法人側の説明によれば、その目的は二点ある。第一に、企業などでも行われている個人の業績評価を大学にも積極的に取り入れることで、大学としても社会の期待に応えるものにしたいこと。これは、いわゆる大学の自己点検・自己評価の一環でもある。次に、本学の場合、教員の研究・教育業績の評価を行うことで、各学部における教育と研究を活性化し、本学の教育と研究を質的に向上させることである。

 一般的に言えることは、大学改革や大学での研究や教育の質的向上という場合にも、いかなる手段といえども100%完全に正しいというものはなく、また逆に100%無駄であり無意味だということはない。したがって、今回の法人側の提案に対しても、頭からこれを否定し、拒否するのではなく、できるだけ問題点を明らかにして、問題の本質にせまるよう議論していくのが最善の道であると考える。

 教員の間で、「仕事や負担の不平等」感はあるのか?

次に、今回提案された業績評価案について、以下3点で検討することにしたい。

今回はまず、各論に立ち入って問題点を論ずるのではなく、全体的な観点から議論していくことにしたい。まず教員の仕事についてであるが、法人側の説明によれば、ある教員は他の教員よりも研究や教育の面で優れた貢献をしているのだから、これを評価したいということである。特に、教育や学部での委員会など運営面では、個々人の仕事の量が違うので、これを量的な基準によって測ることが「客観的な」評価につながるとしている。

 しかしながら、これまでの学部の会議や組合の執行委員会においても、本学では学部間や各学部での教員間では、法人側の言うような「仕事負担の不平等」ということがほとんど聞こえてこないというのが、大方の意見である。個人の能力が決して同じではないように、現状では、個々の教員の間で仕事や負担が量的に同じであり、量的に平等ということはない。しかしながら、だからといって、ことさらに教員間で不満の声が聞かれないのはなぜであろうか。それは、教員相互の間に暗黙の了解があり、相互の信頼と話し合いの上で、教育、研究、学部の運営体制を決めているからであろう。少なくとも、教員の仕事や負担について、お互いに助けあいながら行っているというのが現状なのである。以上のことから、個人の業績評価をボーナスに反映させるというのは、現状では、教員の間から出た発想ではないことは明らかである。

 

今後の、教育・研究、学部運営の面における影響

次に問題となるのは、このような教員の業績評価が、今後、学部の教育や研究、学部の運営にはたして良い影響を与えるかどうかということについてである。これには、示された業績評価の基準が、各学部の教育理念や教育目標とどのような整合的な関係があるかということが問われなければならない。今回示された基準とその配点についてここでは個々に言及することはしないが、今回の基準によって、学部の教育理念や教育目標、行動計画がより一層明確になるということはない。言い換えれば、どこをどのように改善すればよいか、また教育目標を実現するために各教員が何をすればよいか、その行動内容が明確に示されてはいないからである。

 このような教育目標が明確ではないままに業績評価を行うということは、個人の努力目標があいまいなままに評価されるということを意味する。その結果、努力目標があいまいなままに教員が行動することは、ただいたずらに点数をあげるために競争するという、思いつきの行動に走らせることことになるだろう。しかも年ごとに、努力目標や重点の置き方が各方面に移り変わるとしたら、教員の努力にはますます一貫性がなくなることになりかねない。  

結果として、教員の努力は、学部としての統一に欠けることになり、ますます学部の教育や研究は混乱していくことになるだろう。もちろん、これには、今後業績評価を行っていく上で、その基準内容を改善すればよいという反論もなりたつ。しかしながら、学部の教育目標や行動計画が不明確なままに行動することは、教員の行動や努力にも混乱を招くことになりかねない。

 

2002年度、冬のボーナスへの反映について

最後に、法人側が、2002年度の冬のボーナスに業績評価を反映させたいと主張していることについてであるが、残念ながら、法人と教員の間の相互信頼という面からは、ここにも無理がある。組合の立場から言えば、そもそも今年度のボーナス交渉自体が未解決であり、本来、この交渉が進展しなければ次に進めないのである。

法人側の説明によれば、すでに今年は教員の業績評価を行うと宣言したとしているが、これとても法人側が具体的方針や内容を示さずに、一方的に語っていただけであり、教員としても組合としても、決して同意し、納得していたわけではない。このように評価基準の相互理解ができていない中で、しかも4月にさかのぼり業績を評価し、冬のボーナスに反映するというのは、ある教員が言われるように、学生に「抜き打ちテスト」をして成績評価をするようなもので、いかにも理に合わないやり方である。少なくとも、一定期間は、議論し理解し合うための時間を設けるというのが、社会の常識ではないだろうか。

 

今、大切なのは、一人ひとりの教員が声を上げること

今回は、法人側の業績評価の案について、全体的な観点から考察したが、今後もできるだけ多くの人々の意見をこの紙面に掲載したいと考えているので、どしどし意見を御寄せいただくか、投稿していただきたい。(匿名でもかまいません、学内メールや

ファックスも受け付けます――担当、三国まで)。                              

以上