北陸大学教職員組合ニュース第174号(2001.8.15発行)

            日本刀事件訴訟

初谷良彦氏と北元理事長・法人とのあいだに和解成立:

初谷氏の主張が全面的に認められる

 北元喜朗理事長に日本刀を突きつけられ精神的苦痛を受けたとして、理事長および学校法人北陸大学に対して200万円の慰謝料を求め、また、平成12年12月22日付の退職強要を不当とした初谷良彦氏による訴訟は、平成13725日に金沢地方裁判所において、和解が成立した。和解の内容は「裁判官の要請」(朝日)や「双方代理人の話し合い」(北陸中日)により明らかにされていないが、初谷氏は各新聞社の取材に対して「全面的にこちらの主張が認められた。訴訟の目的は十分に達した。」との談話を出しており、それに対する大学側からの反論もないことから判断して、初谷氏が全面的に勝利したことはまちがいない。当初、北元理事長側は「「日本刀を突きつけたことはない」と論求の棄却を求め」、「「虚偽やわい曲した事実を流布され、甚大な被害を被った」として初谷氏を相手に反訴を起こす方針を示した」(127日付北陸中日)。しかし、結局は、北元理事長および法人理事会は、北元理事長が日本刀を突きつけて精神的苦痛を与えたことを認め、さらに12月22日付の退職強要もまた不当であったことも認めたということになる。

ところで7月25日、中川幸一専務理事が裁判上の和解を報じるNHKのニュースの中で「訴えを認めた訳ではないが、泥仕合のような裁判が続くことは、教育の場に悪影響を与えることになりかねないため、和解という形で決着した」とのコメントを寄せた。これでは丸で初谷氏側をペテンにかけたようなことになる。「訴えを認めた訳ではないが」という発言は重大である。初谷氏及び代理人は極めて卑劣なコメントであるとして態度を硬化させていると聞く。組合としても独自に調査に入ることになるが、今までのところ色々な方面からの断片的な話を総合すると和解の骨子はおよそ次のようなものであったということが推定される。

  1. 平成12年12月22日とされていた退職日を地裁地位保全仮処分決定に従って撤回し、退職日を平成13年3月31日に改めたということ

  2. 訴訟で要求した慰謝料の額と同額の金銭支払いが認められたこと

  3. 本件に関して遺憾の意が表されたようであること、等である。

 そうであるなら「訴えを認めた訳ではないが」との中川専務理事の発言は茶番であったといって済まされるものでは到底なく、個人的に何か隠された意図があると勘ぐられても仕方がないだろう。

 82日に行われた団交において、組合側は法人理事会側に、この「日本刀事件」および12月22日付での退職強要に関して理事会の考えを問いただした。「この事件は当然大学にあって起きてはならない事件だが、特に1222日付で初谷氏に退職を迫るという理事長の意志に対して、そんなことをすれば混乱することは十分予測できていたはずなのに誰もそれを止めなかった。仮処分が出たときにも理事会はそれに対して誤った対応をしたため混乱はいっそうひどくなり北陸大学の社会的信頼は地に落ちた。学生もふくめ大学全体として計り知れない損害を受けた。その責任はいったい誰が取るのか?」これに対して団交に出席していた理事からは一切明快な説明はなかった。

今回の事件に対しても、またかという思いを禁じえない組合員は多いだろう。大学は私物ではない。厳しい締め付けの中1650名が署名に参加し、文部科学大臣にまで訴えた学生の思いを冷然と踏みにじることのできる大学に未来はない。「構造改革」が必要なのは国だけではない。

 

 

            皆 さ ま へ

 皆さまにはお元気でお過ごしのことと存じます。

私事にわたりますが、娘の奈美(17)の死去に際しましては、組合の皆さま、多数の卒業生、学生の皆様からの御懇篤なご弔意を賜り有りがたく厚く御礼申し上げます。

 裁判のご報告をします。この8ヶ月の間に三度の裁判がありました。地位保全の仮処分を求める訴と私に対する構内立ち入り禁止の仮処分を求める訴、それと日本刀訴訟です。法人側の主張は一度たりといえども認められていません。すべて私どもの勝利です。前二者については内容は公開されていますのでご承知の通りですが、日本刀訴訟については裁判官の和解勧告により7月25日金沢地裁で和解協議に入り、私の主張は全面的に認められ、訴訟の目的は完全に達成されました。調停調書は、故なく公開しないという条項がありますので、調書の公開はできませんが、異例の内容です。

 けれども、私や私の家族、そして学生達が受けた深い心の傷は決して癒されるものではありません。一連の事件は、絶対的な権力は絶対的に腐敗するということをまざまざと見せつけたものでもあります。

また、法人の意に従うことに汲々とし、同僚や学生さえも売った一部教員達の『夜と霧』(フランクル)さながらの光景は、先人達が築いてきた大学自治を根底から揺るがすものであるとの思いを抑えることは出来ません。

一部の人たちから和解をせずに裁判を継続すべきだとのご意見も寄せられています。しかし、十二分に納得のいく和解内容を拒否することは、裁判を紛争解決以外の目的、つまり私的復讐に利用しようということになり、法社会の常識に反します。私の主張が「事実上完全に認められたという現実」に満足する以外の選択肢はありませんでした。

北陸大学に来てあまりにも多くのものを失いましたが、得たものもあります。それはすばらしい学生諸姉兄との邂逅です。娘と学生の皆さんとの想い出を大切にしながらこれからの人生を歩んでまいります。また、決して不当な権力に阿らず、毅然として正義を追求されてきた組合の先生方や事務職員の方々の生き方は私の人生の指針となっています。感謝に耐えません。

 初 谷 良 彦