北陸大学教職員組合ニュース第
160号(2000.10.13発行)
明日の北陸大学発展に向けて
――責任ある行動・発言――
法人機関紙
With(平成12年No.12)が出た。見出しは「明日の法学部発展に向けて――責任ある行動・発言――」とある。どのような内容か、見出しからは不明瞭だが、本文を読むと現在の厳しい環境の中で最重要なのは「教職員の意識改革であり、また責任感と使命感です」とある。そして社会の学部評価は「入学志願状況に端的に表れます」として、法学部の志願者数がピーク時の9.4%にとどまったから「学部教育の立て直しが至上命題となっています」と続く。そして最後まで行くと法学部が「再び地域社会からの信頼と評価を得られる日が一刻も早く到来することを願うものです」とあって結びのことばに続く。この記事は要するに、法学部の志願者数がピーク時の9.4%しかないのは「地域社会からの信頼と評価が」落ちたからだ、という主張である。驚くべき主張である。あのバブル経済のときに多数の志願者が集まった最大の理由は全国的に私学ブームがあり、大学進学希望者の数のみならず掛け持ち受験も多かったからである。その状況が今は大きくかわった。志願者が減っているのは北陸大学だけではなく全国の私立大学共通の現象である。そんなことは入試課の職員ならずとも大学にいる者なら自明のことであろう。様々な要因が複雑にからみあって各学部の志願者数は変動する。それを一切無視して法学部の教員が悪いからだという論を主張するのは、あまりに乱暴な議論だろう。議論以前である。
文中には見出しにも使っている責任ということばが頻繁に使われ、あたかも法学部の教員が無責任のかたまりであるかのような言い方をしている。しかし「責任ある行動・発言」を主張するなら、当の法人理事会はどうなのか。
理事長を批判するビラを配布した学生に対して事務局による「逮捕・監禁」の疑惑があったとき、理事会から責任ある行動・発言はあったか?某雑誌に北陸大学の現状を暴露する記事が掲載されたとき、内容に対して理事会から責任ある説明が学生・教職員に対してあったか?文部省への虚偽報告が発覚したとき、理事会から責任ある行動・発言はあったか?北元理事長が元亜細亜大学学長の衛藤氏を本学の学長として招聘しようとしたとき、紆余曲折のあげく当の衛藤氏から北元理事長を非難する怒りのことばがマスコミ各社に送られ公表されたが、あのときに北元理事長は責任ある行動をとったか?否、否、否、断じて否!
非常識かつ無責任な行動によって北陸大学の「地域社会からの信頼と評価」を低下せしめたのは当の法人理事会ではないか。自分たちの過去を反省することもなく、法学部教員にのみ志願者減少の責任を押しつけるのはまったくの手前勝手の議論であり、要するに責任のすりかえであり、ごまかしである。
今回の
Withの記事のもう一つの論点は初谷教授の法学部長辞任についてである。初谷教授は「ご家庭の事情」によってやめるとある。そして再任後5ヶ月で辞任することとなった「状況のもとをたどれば、今春の投票結果に行き着くものであり、現状を(ママ)鑑みれば反省が生じてしかるべきです」とあり、ここでも法学部の教員が悪者とされている。Withの主張は5ヶ月後に家庭の事情でやめるような学部長を選挙で選んだ法学部の教員は反省をしろ、という主張である。しかし、学部長を選ぶときに、誰が家庭の事情の変化を予測して選ぶことができるだろうか?ここでのWithの主張もまったくのでたらめとしか言いようがない。以上のようなでたらめをならべて教員を非難する理事会とはいったい何なのか。
Withは規定上の根拠がないままに発行されているとはいえ、仮にも法人理事会の、現在唯一の公的機関紙だろう。そこで自分たちの大学の教員をでたらめな論理でこきおろすとはいったいどういうことなのか。このような大学に受験生が集まるはずがない。北陸大学の将来を閉ざしているのは理事会自身である。北元理事長は「謝恩」の大切さを言う。しかし、2年と5ヶ月のあいだ学部長として法学部運営にあたり、法学部の教育の柱としても貢献してきた初谷教授――今日にいたるまでにご家庭においては多くのことを法学部のために犠牲にしたと推察される――に対して、
Withの記事の中には感謝のことばは一つもない。「謝恩」の気持ちなどかけらもない。With誌のいう「責任ある行動・発言」はまず自分たちのところから実行すべきだろう。手遅れにならないうちに。
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